【ミニマル一歩】6 - 気を張るのをやめる
また昨日中にあげるの忘れた。
まぁ、いいか。
昨日は、『気を張る』のをやめた。
「頑張らなくては!」とか、「いい人にみられたい!」とか、「仕事ができると思われたい!」とか思いすぎて、ガッチガチに気を張って神経を高ぶらせるのをやめることにした。
気を張るのが常になっているから、なかなか『ええかっこしい』はやめられない。
でもそのかわりに、「頑張らなくては!」と思った時には「いま、頑張らなくては!と気を張ってるなぁ〜、ふふふ」と、「いい人にみられたい!」と思った時には「いま、いい人にみられようと見栄を張ってるなぁ〜、ふふふ」と、「仕事ができると思われたい!」と思った時には「いま、仕事ができないと馬鹿にされたくなくて必死だなぁ〜、ふふふ」と客観視してみることにした。
試してみると、なかなか悪くない。
客観視しただけでちょっと気が抜ける。
どうでもいいことに必死になっている自分が滑稽で、一生懸命がかわいく思えて、ちょっと心が和らぐ。
気を張りすぎる性分を変えるのではなく受け入れて、ほんの少しずつでいいからゆる〜く生きていこう。
「いま、ふふふ」の精神で。
【ミニマル一歩】5 - どんぶり勘定をやめる
やめる作業をしていたらブログを更新しそびれた。
今月から家計簿の仕組みを変えた。
昨日がその締め作業日。正確には一昨日。
お小遣い帳から始まり、あらゆる家計簿の方式を試してきたが、やっと今の性格&生活スタイルに合う方法が見つかったようだ。
具体的なことは一旦置いておくとして、つまりは『どんぶり勘定をやめる』のが肝だった。
忙しくて未記録のレシートが溜まっていくプレッシャーも、切り詰めているのに貯金がガンガン減っていくストレスも、この1ヶ月ほとんどなかった。そのうえ、目に見えてハッキリと黒字になった。すごく嬉しい。
やり方を変えるだけで、今までのやり方をやめるだけで成果がでた。
まだ1ヶ月だけど、それでも1ヶ月やりきった。えらい。
小さなことをコツコツと。
小さな変化を続けていこう。
【ミニマル一歩】4 - 無理をやめる
昨日はブログをサボった。
典型的な三日坊主だ。
言い訳をすると、ここ最近の土曜の疲れ具合がヤバイ。起き上がろうとしても起き上がれず、ウトウトと夢現を行ったりきたり。
掃除もしなきゃ、選択もしなきゃ、お金の精算もしなきゃ……と、たくさんの「やらなきゃ」に押し潰されそうになりながらも起き上がることが出来ずにいた。
だから昨日は、『無理をやめる』ことにした。
完璧主義の「やらなきゃ」は、大抵「やらなくてもいい」ことだ。それを、やらなきゃ許せないのはただ一人、自分だけだ。
ミニマリズムで重要なのは、『それが本当に必要なのか』を見極めること。
見極められないなら、『一旦手放してみる』。そこで気づけることがある。
本当に絶対にやらなきゃいけないこともあるし、やらなくて大変なことになることもある。そこの見極めは簡単ではないかもしれない。
でも、少しずつでもいいから『やらなくていいことはやらない』を貫けるようになろう。
少なくとも『無理してやっていること』は案外『やらなくてもどうにかなること』の場合が多いはずだから。
以上、昨日の分でした。
【ミニマル一歩】3 - 不機嫌をやめる
イライラすることがある。
腹の立つこともたくさんある。
でもそれを訴えるのに、不機嫌オーラを使うのを少し控えようと思う。
不機嫌オーラは便利だ。
言葉にしなくても察してもらえる。「どうしたの?」と構ってもらえる。
でもそれは、とても横暴なことなのかもしれない。
嫌と言えなくて、助けてと言えなくて、誰かに気づいてもらいたくて苦肉の策で不機嫌オーラを出してしまう。
でもそれで余計に苦しくなることの方が多い。
「なんで声掛けてこないんだ!」「機嫌悪いんだから慰めろよ!」と他人の鈍感さにさらにイライラしてきてしまう。
でも、逆の立場だったらどうだろうか?
見るからに機嫌が悪い人間には声なんかかけたくない。原因は自分なのか他人なのか分からず悶々と考えこんでしまう。そして、周りをそんな気持ちにさせるその人のことが大嫌いになる。
だいたいこんなパターンではないだろうか。
嫌われたくない一心で言いたいことを抑えているのに嫌われていく矛盾。
言っても無駄な時もある。言うだけ馬鹿らしい時もある。でもそっちの方がまだ「意味もなく嫌われる」確率は低くなるのではないだろうか。
「好かれるか嫌われるか」とか、「確率が高いか低いか」とかくだらないかもしれないが、そのくだらないことに囚われてしまっている自分がいるのも事実。
自分を変えたい、くだらないことから解放されたい。
その一歩としてまず、『不機嫌』にならないことを選択する。
「他人のせいで不機嫌に『なる』」訳ではなく、「他人にされたことで『自分は不機嫌でいる』ことを『選んだ』」だけなのだろう。
それに気づけた今は、自らの意志で『不機嫌にはならない』を選ぶことができるだろう。
「いつでも機嫌よく」が無理でも「不機嫌にはならない」ならできる。
すぐに完璧にはできないだろう。イライラしすぎて忘れてしまうこともあるだろう。でも、意識をして、少しずつ少しずつ理想に近づけていけたらいい。
ミニマリズムと同じで、長年積み上げてきたものは1日で片付けきることはできない。のんびり、ゆっくり、変化を楽しみながら生きていこう。
【ミニマル一歩】2 - 歓送迎会を断る
どうにでもなれ、と決意して断った。
もともと飲み会は嫌いだ。
時間とお金の無駄だし、そう思いながら参加している自分に嫌気はさすし、それを悟らせないように無理して楽しんでいるフリして疲れるのも、なにもかもかもが嫌いだ。
新しい会社の人達はいい人ばかりだったし、仕事上で助けてもらうことも多くなるだろうから人間関係は円満にしておいた方がいいと思ってなるべく参加しては楽しむようにしていた。自分史上ありえないくらい努力していた。
でもその努力は、無駄な努力だった。自分をすり減らしてまですることではなかった。無駄な労力だった。
だからもう、無理はしないことにした。
そんなことでダメになる関係なら所詮はその程度のものなんだと割り切ることにした。
自分の時にしてもらったから返さなければ、と思い込んでいたけれど、別に飲み会や歓送迎会に参加することだけが手段ではない。他の方法はたくさんある。そして自分は、それらをできる。ならもう、参加する意味はない。
できれば強制参加の打ち上げ会や忘年会もバックレたい。難しそうだが。まあそれらは勤務時間に計上できるから我慢するしかないな。
そんな強制参加の会に参加するだけでも偉い!と自分を褒めて、それ以外の会はどんどん断っていこうと思う。
ちなみに断った歓送迎会は4部合同になり参加者が膨れ上がっているようだ。
自分が居ないのがバレにくい状況になってきたようで有難い限りだ。少人数だから申し訳ないと感じていた罪悪感が薄れる。
無理して参加にしていたら「自分いなくてもいいじゃん……あほらし……」と嫌な思いが暴走していただろうから、勇気を持って断って本当によかった!!!
【ミニマル一歩】1 - 『やった方がいいかな?』をやらない
自分の唯一の利点は、『細かいところに気づける』ところだと思う。
少し先を見越して動こうとするから、他人が見逃している細かいところに気づけ、繊細な心配りができる。気持ち良く動けるようにしてあげられる。
でもその反面、そのせいで自分の仕事を増やしてしまっているのも事実。頼まれてもいないのにやることがどんどん増えていく原因。
これを、やめよう。
『やった方がいいかな?』ってのはつまり、誰からも頼まれていないこと。
それがされているとありがたいけれど、されていなくても何とかなること。
プラスアルファな部分ではあるが、マストではないこと。
ならもう、やらなくていいよ。
やめてしまおう。
きっと最初は気持ち悪いだろう。
気づいているのにやらない、あとから絶対困るのが目に見えている……と思ってしまうだろう。
でももう、やらなくていいよ。
感謝されたくてやっているわけではないけれど、きっと疲れてくると「こんなにしてやっているのにっ!」と腹が立ってくるだろうから。
プラスアルファは心に余裕がある時だけでいい。
馬鹿馬鹿しいと思ったらやらなくていい。
『やった方がいいかな?』をやめて、自分をもっとステキにさせる『やりたいな!』ってことをやっていこう。
【ミニマル一歩】はじめに
最近、いろいろなモノを抱え込みすぎている気がする。
物理的にも、精神的にも。
あれだけ捨てに捨てても定期的に見直さないとどんどんモノは増えていく。生きづらくなってくる。
ここらでまた一区切りつけるとしようか。
ただ、今のこの忙しさの中でMinsGameをするのは危険だと思う。負荷が大きすぎて、身軽になるどころか逆に自分を追い込むことになってしまいそうだ。
なので、ちょっと変則的な断捨離で進めていこうと思う。
やり方は簡単。何事もシンプルに。
『1日ひとつ捨てる。物でも概念でもいい』
そう、「なんでもいい」が最優先事項。
物を捨てる気力がないのなら、自分を追い込んでいる「やらねば」な思考を手放していけばいい。
ゴールはどうしようか?
1ヶ月でいいかな?どうせなら、今日から4月末で34個とかでいいかな?きりが悪いけど、出来ない目標掲げるよりはいいだろうってことで。
物でも概念でもいい、1日ひとつなにかしら捨てる。
なんだか面白そうではないか。
ミニマリズムへの確実な一歩。
『One small step for man one giant leap for mankind』
そんな気持ちでやってみよう。