詠み人知らず
中学の国語の時間、気づいたことがある。
自分の理想は、『詠み人知らず』な生き方だな、と。
現代文の解説を聴き流しながらぼんやりと眺めた国語便覧には、たくさんの和歌が載っていた。
天皇、僧侶、三十六歌仙…名だたる人々の中にぽつりぽつりと顔を出す『詠み人知らず』の文字列に目が吸い寄せられた。
「歴史に名を残す」ことが『生きた証』だとしたら、この詠み人には「生まれてきた意味」がない。
でも現実は、「いつ何処で誰が詠んだか知らないが、いいものはいい」と語り継がれている。
それはつまり、「歌そのもの」が『詠み人』であり、『生きた証』。
シンプルで、潔くて、「あぁ、なんてカッコイイ生き方なんだろう」と心が震えた。
大きなことを成し遂げられなくてもいい。
名前も、なんの作品も残せなくてもいい。
けれども、何処かの誰かに
「何処の誰かは知らないが、心動かされたなぁ」なんて一瞬でも思って貰える生き方ができたらいい。
そんな理想に想いを馳せつつ、承認欲求の大海原を漂う毎日。