正直者の大うつけ
ねえ、知ってる?
馬鹿につける薬はないんだって。
馬鹿は死んでも治らないんだって。
ところで、
「正直者が馬鹿を見る」って諺あるじゃないですか。
この時の『馬鹿』は、「割を食う」的な意味なんですよね。
ただ、最近ふと気づいたんですが、実は文章そのままな「馬鹿な人を見てしまう」って意味も含まれてるんじゃないかって思うんですよね。
正直者は真面目だから、『馬鹿な人=小賢しい人』が目についてしまう。
正直者は規律を重視するから、『馬鹿な人=狡賢い人』が目についてしまう。
見ようとしていなくても、目についてしまう。
正直者じゃなくても気づくかもしれない。目につくかもしれない。
でも、正直者じゃなければ目を瞑ってしまうかもしれない。見なかったことにするかもしれない。
けれど正直者は、そこで動いてしまう。
だって、『正直者』だから。
気づけた事実に目を瞑るのは、『嘘』だから。『正直』じゃないから。
だからさ、結果的に、
「馬鹿を見ているのは正直者だけ」=「正直者が馬鹿を見る」んでしょうね。
それはまあなんとも「馬鹿馬鹿しい」ことじゃないですか。「馬鹿正直」すぎじゃないですか。
それならね、もっと別の『バカ』見ていきましょうよ。
他人の言動なんか気にせず自分の好きなことに没頭して、楽しそうに笑っていて、それでもって何故か見ている周りも幸せにさせられてしまう『バカ』の方を見ていきましょうよ。
「踊る阿呆に 見る阿呆」と似たようなもんですよ。
「下品な馬鹿より 品あるバカ 同じ『ばか』なら見ていて楽しいバカ」ですよ。
どうせなら『馬鹿正直』じゃなく、『バカ正直』になりましょうよ。
「他人の言動の善悪」に気がついても、「正そう」としなくていいんですよ。
それは『正義の味方』にでも任せておけばいいんですよ。『正直』と『正義』は、違うんですよ。
他人の決めたルールに『馬鹿正直』に生きるんじゃなくて、自分の気持ちに『バカ正直』に生きていきましょうよ。
だって、
バカにつける薬はないんですから。
バカは死んでも治らないんですから。